八高線はまだ非電化で、キハ17・キハ20・キハ35が旅客を運び、D51とC58が貨物を牽引していました。沿線に近いところに住んでいたため、拝島駅、多摩川鉄橋、小宮駅などによく足を運びました。はじめの何枚かはハーフ版ですが、途中からは父のフジカ35を持って出かけました。
金子-高麗川のどこかだと思います。石灰石列車。
奥多摩の石灰石を拝島経由で運んでいました。
こんな編成がよくありました。キハ20の大きさと新しさが目立っていました。
D51を待っているときに時々通るディーゼルカー。せっかくなので撮りましたが今となっては貴重な一コマです。
高麗川だと思います。
拝島-小宮間
こちらも拝島-小宮です。この頃はまだ沿線には自然が豊富でした。
多摩川鉄橋を渡るキハ35。
重連で貨物を引いて多摩川鉄橋を渡ります。
多摩川鉄橋は近いこともあり、何回も行きました。
多摩川鉄橋を渡って少し登ると小宮です。
ラストナンバーが1160ですから、最後期の製造です。
1944年 川崎車両で製造。
キハ17とタブレットの交換。
通過する列車のタブレットの受け渡しに興味津々。
ときどきC58のことがありました。多摩川鉄橋の手前。左奧が小宮。
腕木式信号機がさりげなく。
前の写真と同じ場所。このカーブがお気に入りだったようです。
貨物輸送もけっこう盛んでした。