1975 飯田線 ED18 ED19 ED62 EF10 他

飯田線は辰野-飯田間の貨物牽引ED18とED19をED62に置き換える直前でした。
この時期にまだ輸入電機が活躍していたことは驚きでした。 飯田-豊橋間のEF10とともに、翌年には18両のED62と交代して廃車されました。
まだ旧型国電の全盛期で、クモハ52が颯爽と走っていました。


 

■ED18

大正末期にイギリスから輸入され、東海道本線、中央線などで使われた。
1953年から55年にかけてED17などから3両が軸重軽減など改造され、中部天竜機関区に配置されてED19とともに飯田線北部の貨物牽引に活躍した。
ED182がリニア館に展示されている。





■ED19

大正末期に東海道本線用に6両がアメリカから輸入されたED53が前身である。
後の国産電機に技術的な影響を与えたといわれる。
ED19に改造されて作並機関区、甲府機関区などを経て、戦中から戦後すぐにかけて伊那松島機関区に配置され、飯田線で使われるようになった。
ED62と交代して1976年に全機廃車された。





■EF10 ED62

EF10は70年代に入って首都圏などから転入し、豊橋機関区に所属し飯田線南部を中心に貨物の牽引に活躍したが、ED62と交代して77~78年にほとんどが廃車になった。
ED62は、中央線で重連で貨物の牽引に使われていたが、EF64の新製で軸重軽減工事後1976年から飯田線で使われた。1~9は伊那松島機関区、10~18は豊橋機関区に所属し、全18両が飯田線に集合した。


■サエ9320

サエ9320は伊那電気鉄道の木造付随車として大正13年に製造された。製造当初二等三等郵便荷物合造車で、記号は「サロハユニフ」という長いものであった。
本形式は、飯田線北部の1500V昇圧にともなって営業運転から退き、救援車に改造されサエ9320形となった。9320は中部天竜機関支区に1979年(昭和54年)まで在籍していた。


 


 





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